『Lobsterr Letter』は、毎週届くニュースレターです。世界中のおもしろいビジネスやカルチャー、未来の兆しになるようなニュースを集め、感想や考えを添えてお届けします。 |
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Outlook
A New Masculinity
ケアをする男 |
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この記事には、映画『WAVES/ウェイブス』、『ドライブ・マイ・カー』の内容の一部が含まれます。まだご覧になっていない方はお気をつけて、あるいは観賞後にお読みください。
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2020年の3月、気鋭の映画制作スタジオA24の『WAVES』の試写会に行く機会があった。「傷ついた若者たちが、新たな一歩を踏み出すまでを鮮烈に描く希望の物語」と公式サイトにある通りの青春ストーリー。俳優たちの瑞々しい演技、マイアミの陽光が映える色彩豊かな映像の上に「もはやミュージカル」とも言われるほどの表現豊かな音楽が重なる、素晴らしい映画体験だった。しかし何より印象的だったのは「男たちが泣く」というユニークなストーリーラインだった。
『WAVES』には、銃や暴力など「力」で逆境を乗り越えるという紋切り型のストーリー展開は存在しない。むしろ、文字通りの腕力や父としての権威などの力は次々とトラブルを誘因する。父、彼氏、兄。物語の中盤や終盤にかけて、こうしたさまざまなタイプの男たちが、降りかかる逆境に対して力で抵抗することなく、逆に自分の弱さに向き合い、それをパートナーに曝け出しながら大粒の涙を流す。これほどまで男たちの涙が美しく表現された映画は観たことはなかった。
それから2年後、日比谷にある映画館の大きなスクリーンで、同じく男が泣く映画を見ていた。『ドライブ・マイ・カー』。この映画を観ながらまっさきに思い出したのがこの『WAVES』だった。観賞後には、映画の構造や好きなセリフやキャラクター、そして最後のシーンが意味するものなどについて友人や同僚とたくさん語り合った。その過程で解説や批評もたくさん目を通したが、いちばん興味深かったのは、批評家の杉田俊介さんの映画評だった。その批評では、この映画では(1)家父長的でマッチョな男性性、(2)優しくリベラルな男性、(3)自分の痛みや傷について他者とコミュニケーションし、弱さを他者とシェアできる男性、という3つの男性性が描かれている、と解説している。多くの評価や注目が集まる映画で(3)のような新しいマスキュリニティ(男性性)が提示されているのは珍しいように思う。自己責任論が蔓延るジェンダー観に男性自身が苦しむことも多くなってきたいま、このように新しいジェンダー像のナラティブが提示されたのは、男性にとってもポジティブに働くことになるかもしれない。
しかし、映画の感想を語り合う中である人に指摘され、ハッとさせられたことがある。それは、『WAVES』でも『ドライブ・マイ・カー』でも、常に傷つく男性をケアするのは女性だということだ。
『WAVES』においては、エミリーという高校生の女の子が自身も傷を負いながらも、それぞれに傷を抱えた兄、彼氏、そして父を優しくハグし、ケアするという役割を担う。『ドライブ・マイ・カー』においても、主人公の中年男性の家福が亡き妻への思いを泣きながら吐露する時、彼のドライバーを務めていたミサキが彼をそっとハグする。傷つく男性とケアする女性。あたかも性による明確な役割分担が存在しており、ケアするという役割は女性に押し付けられているかのようだ。
そんな中、フリーライターの遠藤光太さんの記事を読んで、「ケアリング・マスキュリニティ」(ケアする男性性)という概念を初めて知った。ケアリング・マスキュリニティとは、子育てだけでなく、その他の対人関係においても相互にケアし合う男性のあり方だ。自己のアイデンティティを「他者との競争に勝つ」に見出す男性は多い。学業、スポーツ、仕事など多くの局面で(本来そうでないのに関わらず)競争の原理が持ち込まれ、その過程で、男性はさまざま局面で生じるケア役割を女性に押しつけ、加えて自らのケアも行わない。ケアリング・マスキュリ二ティはそうしたジェンダー観に新しい可能性を付加するものだ。弱さを他者に示す、上記の(3)のタイプの男性が現れたとき、彼らをケアし、そっとハグするような男性がいるとしたら、それはとても優しい世界ではないか。それに、そうした行為は、男性が苦手な怒りや喜び以外の悲しさや共感などの感情表出を身につけることにもつながるかもしれない。
先の会話で指摘されたのは、まさに両方の映画におけるこのケアリング・マスキュリ二ティの不在だった。私は「泣く男性」を観たことを以て、単なるリベラルな男性の先にある新たなマスキュリニティを知ったことを喜んでいたが、傷つく男性の横にいる女性が引き続きケアとい役割を引き受け続けていることには無頓着であったことに気付かされ、ハッとしたのだ。
いくつかの映画や小説は、時代精神あるいはその時代のイデオロギーを表現するのみならず、社会全体を新たなベクトルへ向かわせる力を持つ。かつて『東京物語』が封建的な地方を出て都市で活躍し地位を上昇させるという、当時の日本社会が持っていた共通のストーリーを表現し、あるいはアメリカで聖書の次に読まれているといわれる『肩をすくめるアトラス』が、自由至上主義の源流としてイーロン・マスクやスティーブ・ジョブズにも影響を与えたように。
『ドライブ・マイ・カー』はもしかしたらそういう力を持つ映画になるかもしれない。アカデミー賞の何部門かを受賞してほしい。しかし、もしそれがこの時代のナラティブとして作用しはじめるとすれば、ケアの性役割の固定という意味において、ある種の危うさを抱えていると言えるかもしれない。近い将来、弱さ、脆さを晒す男性を、別の男性がケアし、ハグするシーンがハイライトとして表現されるようなストーリーは現れるのだろうか。そして、そんなストーリーはすでに私の知らないところで多く描かれているのだと思う。もしケアリング・マスキュリ二ティが表現されているオススメのストーリーがあれば、教えてもらえると嬉しいです。──Y.S
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国境の北
『The Economist』や『ニューヨーク・タイムズ』などでいくつかののウクライナ情勢を解説する記事を読んだが、『Quillette』に掲載されているロシア南部に住むイギリス人の手記は、そうした対極的で中立的な分析に基づく記事とは全くの対極を為しており、とても心に響いた。
筆者のロバート・ギンズバーグ(偽名)は、お気に入りのロシア南部の街に住み続け、8歳の娘とのどかな生活を送っていた。毎日トラムに乗って彼女を学校に送るのが彼の日課だ。彼女は水泳を習い、ギターを買う予定だった。そして、彼女はユダヤ人家庭の男の子と仲良くなり日曜日を一緒に過ごしたりする。しかし、こうした日常が一瞬で破壊されたのだ。この筆者はウクライナ国境近くの街に暮らすが、彼がいるのは安全なロシア側だ。ウクライナ側には恐怖がある一方で、ロシア側には大きな不自由があると彼は言う。経済制裁による物価の高騰のみならず、友人だと思っていた人たちと激しく対立することの心理的ダメージはとても大きい。彼が暮らす街では誰も亡くなったりはしてはいない。しかし、この手記では、期待と希望に満ちた物語が終わり、自分が慣れ親しんできた世界が数時間のうちに吹き飛ぶことの哀しさが綴られている。
ロシア南部の空港は閉鎖されつつあったため、娘とパートナーはモスクワ行きの電車に乗った。そこからイタリアに亡命することになるという。あまり語られることは多くはないが、今回の紛争は、ロシアの市民にも大きな影響、そして傷を与える、ということに思いを至らされた記事だった。政治秩序や戦況の分析記事も重要だが、こうした個人のストーリーにこそ思いを寄せていきたい。
An Englishman in Russia Bids His Daughter Farewell Quillette
自転車が変える子どもたちの未来
ザンビアやジンバブエなどのアフリカ諸国、コロンビアやスリランカの貧困地域の人々にこれまで63万台以上の自転車の寄付を行なっているシカゴを拠点に置く非営利団体「World Bicycle Relief(WBR)」について紹介している『Reasons to be cheerful』の記事が素晴らしかった。
WBRのCEOであるデイヴ・ニースワンダーは「自転車は人々が機会を得るためのツールとして見過ごされています。世界中にいる、信頼できる移動手段を持たない10億人もの人たちにとって自転車は自立するために非常に効果的な手段です」と言う。
WBRの活動は単に自転車を寄付するだけにとどまらない。事前にコミュニティメンバーを交えてニーズ調査をし、誰が自転車を受け取るかをオープンにコミュニケーションし透明性を高めている。そして、WBRはこの活動の厳密なインパクト調査を行なっている。自転車があることで、医療従事者が1日に診れる患者数は88%増加し、子供たちの学校の欠席率が28%、退学率が19%、遅刻率が66%減少したことがわかっている。アフリカで行った調査からは、自転車があれば一家の収入が35%増加することも分かっている。そして、慈善寄付活動に加え、自ら購入したい人たちには自転車を原価で提供し、少しずつ返済できる「Study to Own」や「Work to Own」などのソーシャルビジネスも展開している。
この記事では、世界最大級の自転車部品メーカーのSRAM社の共同創業者のF・K・デイとドキュメンタリー映画監督である妻のリア・ミスバック・デイがWBRを創設した背景や、でこぼこの道でも長距離走れ、簡単に修理ができるWBRの特別モデルの開発ストーリーも紹介されている。自転車1台から子供たちの未来の大きな変化につながっていくのだろう。
A Bicycle Is an Anti-Poverty Machine Reasons to be Cheerful
ウクライナについて子どもたちと話すための方法
「ウクライナ情勢について子供たちとどう話せばいいのか」と題された『ニューヨークタイムズ』の記事で、暗いニュースについて子どもたちと対話をするときに参考になるフレーミングを専門家が紹介している。
子どもからヒントを得る
好奇心は必ずしも恐怖心の表れではない。子供からの質問には落ち着いて正確に答えるようにし、情報を押し付けないようにしよう。
不安のサインを探す
不安を口にする子もいれば、心の中にしまっている子もいるだろう。特に悪夢で眠れなくなったり、食欲が落ちたりしていないだろうか。最新のニュースを追ってしまうことは理解できるが、それを子どもも見ていることを意識しよう。
不安の根本を理解する
親は、子どもが自分と同じことを心配していると勘違いする傾向がある。子どもが本当に心配していることを理解するために「それはどういう意味?」、「具体的にはなにが恐いの?」と聞いてみよう。戦争が自分たちの住む地域に広がることを心配しているのか、それとも、ウクライナの人々の生活がどうなるかを考えているのか、を理解することで話すべき内容も変わってくるだろう。
相手の不安を和らげるとともに、真剣に受け止める
子どもの質問への答えがわからなければ、わからないことを正直に伝える。そして、もしお子さんがウクライナで暮らす家族のことを心配しているのであれば、支援活動をしている団体に寄付をするなど、自分たちにできることを一緒に考える。自分たちの力で誰かを助けられるという実感を得ることは子どもにとって大きな意味を持つでしょう。
この記事は、参加しているペアレンティング関連のメディアプロジェクト『Dadwell』のコミュニティ内で共有されていたのだけど、これらのフレーミングは今回のウクライナ情勢や子どもだけでなく、普段の対話においても大切な姿勢だと思った。
How to Talk to Kids About Ukraine The New York Times
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🌿 Cool Things Of the Week
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Airbnb物件を予約して、ウクライナ在住のホストを経済的に支援することが行われています。48時間で6万泊以上の予約があり、約200万ドルがホストに支払われたそうです。
@bchesky Twitter
ウェルビーイングやセルフケアをテーマにしたセルフリッジズの店舗キャンペーン「SUPERSELF」
SUPERSELF Selfridges
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vol.39: Lobster Is Not Tiger (After-note)|Apple Spotify Others
今回は、2月28日配信の『Lobsterr Letter』vol.151「Lobster Is Not Tiger ロブスターはトラじゃない」の編集後記を、ロブスターの佐々木と岡橋でお届けします。ロブスターイラストのバックストーリー、気候変動とウィンタースポーツ、映画化する女性クリエイターのNFTアート、デジタルマガジンの新しい形、パリの騒音対策、グリーン人材競争、などについて話しました。
vol.38: Therapy for Crypto Addicts (After-note)|Apple Spotify Others
今回は、2月21日配信の『Lobsterr Letter』vol.150「Therapy for Crypto Addicts」の編集後記を、ロブスターの佐々木と岡橋でお届けします。返品された洋服がたどる道、ハリウッド映画と銃、ロンドンっ子たちが話す多文化共生ロンドン英語(M.L.E)、ピーター・ティールの新たな野望、暗号通貨トレーダーのためのセラピー、AIと恋愛や雑誌『SICK』などについて話しました。
vol.37: Imagine (After-note)|Apple Spotify Others
今回は、2月14日に配信した『Lobsterr Letter』vol.148「Repair Brain 修理するマインドセット」の編集後記を、ロブスターの岡橋と佐々木でお届けします。Leica M3、修理する権利とWeb3、ティム・オーライリーが語るWeb3ブーム、ミッドキャリア・サバティカル休暇、サヴィル・ロウの女性テーラーたち、デンマークのコロナ政策とジョルジュ・アガンべン、消費とアイデンティティなどについて話しました。
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